「セルジュ・チェリビダッケ(1912 - 1996)」 ルーマニア生まれ、ベルリンで哲学・音楽を学ぶ。1945年から創設間もないベルリン放送響(当時はRIAS響)の初代首席指揮者。同年ベルリンフィルの再建に心血を注いでいた首席指揮者のレオ・ボルヒャルトが練習の帰りに射殺され混乱を極めていたベルリンフィルにチェリビダッケが突如登場。以後追放されていたフルトヴェングラーが復帰するまでのベルリンフィルを支えました。やがて1954年を最後にベルリンフィルを去り、以後スウェーデン放送響音楽監督、シュトゥットガルト放送響首席客演指揮者を経てミュンヘンフィルの音楽監督。 チェリビダッケの録音嫌いは有名で、若いころの数枚のレコーディングを除けば、正規のレコード録音はありません(ステレオ期では自作自演の1枚のみ、なぜか映像ならば良いということで、演奏ビデオはいくつか出ていました)。 そのため実際以上に幻の指揮者として神格化されてしまい、一時は海賊盤が多く出回り、それがまた良く売れました。 何度か来日し、死後放送録音の多くが正規にリリースされるにあたって、最近では幻の指揮者扱いをされることもなくなりました。 チェリビダッケのブラームスといえば、FMで放送されたシュトゥットガルト放送響を振った第4番の素晴らしい演奏が特に印象に残っています。 第3番で盤になっているのは、以下の4つで全てライヴ。 ・ミラノイタリア放送局管 1959年 ・シュトゥットガルト放送響 1976年 ・ロンドン響 1979年 ・ミュンヘンフィル 1979年 今回は1979年の二つのライヴ録音を聴いてみました。 ・ロンドン交響楽団 (1979年 5月21日 ロンドン ロイヤル・フェルティバルホール ライヴ録音) ロンドン響のパーティ会場で配られたというチェリビダッケ指揮のセット物中の1枚。 正規の販売用として制作されたCDではなさそうですがかなりの数が出回り、今でもHMVのリストに載っています。この日の演奏会は、後半にブラームスの第1番が演奏されています。 デリケートで弱音重視、遅いテンポの横に流れる草書型の演奏でした。ロンドン響の技量も確かなもの。 第1楽章ではクレシェンドよりもデクレシェンドの決めの鮮やかさが印象に残ります。大河ようにトウトウと流れる旋律、終結部の明滅する弱音の変化は絶妙。 第2楽章は起伏の大きな息の長い歌にぴったりと付ける管楽器奏者の名人芸が光り、充分に歌わせながらも音楽は停滞しません。第3楽章は弱音重視のはかない幻のような音楽。 極めて遅い第4楽章はffでも濁らない透明度の高いアンサンブルが見事。 嵐の去った252小節以降で、弱音の中で万華鏡のように響きの音色が変化していくのはチェリビダッケ独特の世界。280小節のコラールが極端に遅く、オルガンの響きにも似た宗教的な荘厳さが感じられました。 細部の音色変化や音楽の造りは精妙であるものの、演奏全体の流れとしては密度が希薄でした。ここでのチェリビダッケは必ずしも絶好調とは言えないようです。 ・ミュンヘンフィルハーモニー管弦楽団 (1979年 6月20日 ミュンヘン ヘラクレスザール ライヴ録音) 遺族の承認を得てEMIから発売された正規盤CD。海賊盤でも同じ録音が何種か出ていたと思います。ただこのシリーズは正規盤とはいえ録音が細部の明瞭度を欠き、場合によっては海賊盤の方が聞きやすいものもあります。この録音もホールの後ろで聴いているような遠めの音像。 ロンドン響盤から一ヶ月後の演奏。しかしテンポ設定からして大きく異なります。 早いテンポの第1楽章は、変幻自在のテンポ変化が手馴れたもの。190小節以降のたたみこむような迫力と大きな広がりは見事ですが、今ひとつ音楽に乗り切れないような停滞感も感じられました。128小節第1主題再現の部分で一瞬音楽が止まるのも驚き。 リピートなし。 完璧なバランスで各楽器が溶け合う第2、3楽章は、チェリビダッケならではの世界。 第3楽章はロンドン響よりも早め。 チェリビダッケの手足のごとく動くオケを盛大に鳴らした第4楽章はスケールの大きな巨匠の音楽、143小節の弦楽器のレガート多用はロンドン響盤では聴かれなかった解釈でした。終結部の改変なし。 正直なところ両盤とも第4番で聞かれたような万人向けの説得力は感じられませんでした。 曲の細かなパーツそれぞれは実に素晴らしいとは思いますが、これはやはりチェリビダッケ固有の独特の世界だと思います。チェリビダッケは実演で大きな感銘を受けた指揮者ですが、今回聴いた二つの録音を聴くかぎりでは、演奏の本質的な良さが理解できませんでした。第4番や「展覧会の絵」は判りやすかったのですが。 (2005.05.03) |