第28回定演のメイン曲は、ブラームスの交響曲第2番となりました。 沼響はブラームスの交響曲は4曲すべて取り上げていますが、第2番は1995年の第11回定演以来2回目となります。 今回はブラームスの交響曲第2番の私的な思い出です。 ブラームスの交響曲第2番は、私が生演奏で聴いたブラームスの最初の交響曲でした。 それは私が高校生の時で、在京の学生オケが沼津にやってきたときのことです。大学は上智大学だったような気がします。場所は昭和20年代に建てられた沼津の旧公会堂。 指揮は誰だったのか思い出せません。比較的著名な日本人指揮者だったことと第一楽章の中間部でオケを歌わせていた大きな指揮ぶりが未だに印象に残っています。 その後何度かブラ2を聴く機会はありましたが、印象に残っているのが1986年のカルロス・クライバーのオーケストラコンサートとして唯一の機会となってしまった来日公演。 この時の公演は、交響曲第4番と第7番のベートーヴェンプロ。 そしてブラームスの交響曲第2番をメインにして、歌劇「魔弾の射手」序曲、 モーツァルトの交響曲第33番という2つのプログラムでした。 いずれもクライバーにとって正規の録音や映像が残っている作品ですが、ブラームスはこの時点でウィーンフィルのレーザーディスクは未発売でした。 私はクライバーで聴く初のレパートリーであるブラームスが演奏される5月9日を迷わず選びました。 会場は東京文化会館。オケはバイエルン国立歌劇場管弦楽団。 当日の会場は、キャンセルの多かったクライバーの登場に期待する聴衆で満席となり、開演前から異常なまでの興奮に包まれていました。 やがてオケのメンバーが揃いチューニングが終了、しばらくしてカッカッカと大きな足音とともにカルロス・クライバーが登場しました。 客席へのおじぎをさっと短く済ませると、「魔弾の射手」序曲のゆっくりしたアダージョの序奏、続いてホルンの四重奏が始まりました。 この時のオケはかなり緊張気味で、ホルンのアンサンブルが乱れたのを覚えています。 オペラのオケなので序曲から全力投球する習慣がないだろうな・・・私はそのようなことを考えながら漠然と聴いていました。 やがて曲の半ばあたりからオケの響きが徐々に変わってきました。 そしてコーダ直前の緊張感に満ちた弦楽器のピチカートのピアニシモに続き、クライバーが両手を高くさし上げた時、奇跡が起きました! 爆発的なフォルテシモに続く弦楽器群の強烈な上昇音。 そして絶妙ともいえる一瞬の間の後、あたかも目の前に立ちはだかる大きな草叢を薙ぎ払うようにクライバーが右手を左右に振ってオケを煽っていった瞬間、会場全体から「はぁぁぁー」と大きなうめき声にも似たため息が起き、目に見えぬ興奮した聴衆の熱い「気」が、ステージのクライバーとオケに向かって波打ちながら怒涛のように押し寄せていきました。 後にも先にもコンサートでのあのような物凄い体験は初めてでした。 続くモーツァルトでは、編成を極端に刈り込んだオケをクライバーは指揮棒をほとんど使わずに指揮していました。 第三楽章のメヌエットなど、指揮台の手すりに寄りかかったまま、ほとんど指揮せずに頭を左右に振っているだけ。 それなのに音楽は自由に飛翔し、羽毛のような軽い響きが会場一杯に満たしていました。 まさにオケと一体となってモーツァルトと遊んでいる神技。 演奏者と聴衆が一体となり会場全体が酔っていました。 休憩時間となると、私の席のすぐ前にいた漫画家の砂川しげひささんが、興奮気味にブツブツなにやらつぶやきながら横の通路をすり抜けていきました。 ロビーには当事ソニー会長だったの大賀典夫さんや各会の名士たち、音楽評論家の岡俊雄さんや浅里公三さんらが満面の笑みをたたえて談笑していました。 当日は小沢征爾、ポリーニといった著名な音楽家も来ていたそうです。 そして、メインのブラームスの交響曲第2番。 ところが前半の2曲の印象があまりにも強烈だったので、正直なところブラームスの印象はほとんど残っていないのです。 曲が終わった後の聴衆熱狂は凄まじいものでしたが、なぜか醒めている自分。 覚えているのは弦楽器のボウイングがバラバラだったことで、この異様な風景が気になって音楽に集中できませんでした。 クライバーが意図的に弦楽奏者を半分に分けて、ボウイングをお互いに逆にして演奏させていたことが判ったのはかなり後のことです。 http://www003.upp.so-net.ne.jp/orch/page012.html このことはクライバーの演奏を取り上げる時に書こうと思います。 (2012.04.13) |