「ブラームスの2番を聴く」2・・・・チューバの使用と作曲の経過
今回はブラームスの交響曲第2番のチューバの使用、作曲の経過などについて。

現代のオーケストラの日常的なレパートリーとして定着しているブラームスの4つの交響曲は、独墺系の交響曲の演奏回数の多さではベートーヴェンやモーツァルトに次ぐものだと思います。

特に第2番は初演された当初から好評で、ブラームスの生前には4曲の中で最も多く演奏されています。
以下は1870年から1902年までの間に欧米で演奏されたブラームスの4つの交響曲の演奏回数です。

第2番 207回
第3番 176回
第1番 154回
第4番 123回
(ウォルター・フリッシュ著 天崎浩ニ訳「ブラームス 4つの交響曲」による)

ブラームスの交響曲第2番は交響曲第1番が初演された翌年の1877年に、オーストリアケルンテン地方のベルチャッハでの避暑地において完成しました。
第1番の完成には21年の年月が費やされましたが、この第2番は4ヶ月という短い間に作曲されています。部分的には第1番と並行して作曲されたようです。

ブラームスの4つの交響曲を演奏してきた中で、この第2番だけが趣が違うというのが正直なところです。
ブラームスの作曲スタイルは保守的ですが、実際の作曲技法は先進的なものがあり。
この交響曲第2番では、本来ならば変拍子にするところを通常の拍子の中に埋め込んでいる楽譜上の拍子とはずれたリズム(ヘミオラ)の使用が多いため、聴くと平明ですが、実際演奏するのは非常に苦労します。
4拍めから始まる第二楽章などその代表的な例かもしれません。

なお、楽器編成はベートーヴェン以来の古典的なものですが、交響曲第2番では他の3つの交響曲と異なりコントラファゴットに変えてチューバが使用されています。

ブラームスの頃、チューバは比較的新しい楽器でした。

それ以前のオーケストラの金管楽器の低音部分は、曲によってはオフクレイドやセルパンといった楽器が使われましたが楽器としての完成度が低く、主に木管楽器であるコントラファゴットが管楽器全体の低音部分を受け持つ役割を負わされていました。
1835年にピストンバルブを採用した現在の形に近いチューバの特許が出されています。

ブラームスの交響曲でチューバが使われているのはこの第2番のみで、他の3曲の交響曲では管楽器の低音部分は全てコントラファゴットが受け持っています。

1875年、ウィーン宮廷歌劇場管弦団にベルリンからチューバ奏者オットー・ブルックスが招聘されました。同じ頃ウィーンのウルマン工房でもF管のコンサートチューバが採用され、これがウィーンフィルで最近まで使用されていたウィンナチューバとして、独自の伝統的なスタイルで定着していきます。

当時ウィーンフィルに頻繁に客演していたブラームスが、この新しい楽器に興味を持ち
第2番で採用したのかもしれません。
交響曲第2番はハンス・リヒター指揮のウィーンフィルによって初演されています。

以下は作曲の経過です。

1876年    交響曲第1番11月4日 初演
1877年 5月 交響曲第1番、最終稿完成
      6月 南オーストリアの保養地ベルチャッハで過ごす(6・9から9月上旬)
 ベルチャッハで交響曲第2番の作曲に着手
    このころモーツァルトの「レクイエム」の校訂作業を進める
    (ブライトコップ社の依頼による)
9月24日 第一楽章を書き留めた。(クララ・シューマンの手紙)
10月3日、第一楽章と第四楽章の一部をクララがブラームスのピアノで聞く。
10月   交響曲第2番 完成
      交響曲第1番 ジムロック社から出版
11月    ピアノ四手用編曲にとりかかる
12月30日 ウィーンで初演  ハンス・リヒター指揮ウィーンフィル

1878年 1月 10日   ライプツイヒで演奏
      2月4,8日   アムステルダム
      2月  6日   デン・ハーグ
      3月  6日   ドレスデン
      6月上旬     デユッセルドルフ
 8月 ジムロック社から出版、スコア、4手
ヴァイオリン協奏曲、ピアノ協奏曲第2番、大学祝典序曲の作曲にとりかかる。
9月  ハンブルクでブラームスが指揮
1879年 夏をベルチャッハですごす。
1880年 1月13日 ケルンでブラームスが指揮
1913年 初録音 ロナルド指揮ロイヤルアルバートホール管
2001年 ヘンレ社からRobert PascallとMichael Struck校訂による原典版出版

なお最新のヘンレ版では、いくつか現行の楽譜と異なる部分があるようです。
http://www.ne.jp/asahi/jurassic/page/talk/brahms/bra2.htm
(2012.05.03)