今回から個別の演奏を紹介していきます。 「ワルター・ダムロッシュ(1862〜1950)」 ポーランドのブレスラウ生まれ、父と兄も指揮者で父レオポルドはリストと親交が有りブラームスの交響曲第1番をいち早くアメリカに紹介しています。 兄フランク・ダムロッシュはジュリアード音楽院の前身となった音楽芸術研究所を創設。 1871年家族で渡米。父と高名な指揮者ハンス・フォン・ビューロに指揮を学び、メトロポリタン歌劇場の副指揮者を経て父の後を継いでニューヨーク交響楽団の指揮者。 ・ニューヨーク交響楽団 (1928年1月4−6日 ニューヨーク スタジオ録音) ランドン・ロナルド(ロンドンフィル)、ジョージ・セル(ベルリン国立歌劇場管)に次ぐ3番目の全曲録音です。 ニューヨーク交響楽団は、ワルター・ダムロッシュの父レオポルド・ダムロッシュが創設した楽団。この録音直後の2月にニューヨークフィルと合併しています。 演奏は現代の耳からすればかなりの低水準。オケのアンサンブルも危ういものがあり、それぞれの楽器が融合せず個別に鳴っている響きの薄さは単に貧弱な録音によるものだけではないようです。 第1楽章冒頭は早くすっきりとした開始。第2主題84小節のスタッカートのついた音符は遅めに演奏。随所で聞かれる弦楽器のポルタメントに時代を感じさせます。 118小節めからテンポを落としていき、音楽が重い石を背負ったように沈潜していきます。135小節から突然に加速していきますが、澱んだ流れは回復しきれませんでした。 第二楽章冒頭のチェロの旋律も稚拙です。慎重さを感じさせるほどのゆっくりしたテンポは、自信のなさを感じさせます。 第三楽章では、オーボエソロの下を支えるチェロのピチカートがギターをつまびくような素朴な面白い効果を上げていました。 第四楽章は遅いテンポで開始。8分音符の動きがぎこちなく78小節の主題の受け渡しも不自然。115小節から加速していき、155小節から始まる再現部冒頭へ移行する部分も唐突に変化します。 コーダの375小節からコントラバスとチェロを強調し猛烈に煽って終結しますが、焦っているようにしか聞こえませんでした。 随所で聞かれるテンポの不可解で唐突な変化は、数分ごとの細切れにしか収録できない電気録音黎明期の技術的な制約のために、曲の解釈よりもレコード一面の収録時間に演奏のテンポを合わせるのを優先させたのかもしれません。 歌心も不足し聴いていて退屈するばかりの稚拙な演奏でした。オケも指揮者も二流の域。 ・・・とここまで書いていて、これはどこかで聴いたスタイルだということを思い出しました。 ブラームスの前で演奏したことのあるマックス・フィードラーの指揮するブラームスの交響曲第3番が似たような演奏でした。 http://www.numakyo.org/cgi-bin/bra3.cgi?vew=52 ダムロッシュはビューローの弟子ですが、ビューローのブラームスもこのようなテンポの変化の大きい演奏だったのかもしれません。 今回聴いたのはビダルフの復刻CDです。90年の歳月を経た古いもので、音は痩せてはいるものの一つ一つの粒立ちは明確でした。 (2012.05.30) |