ブラームスの交響曲第1番は、その構想から初演までに21年の歳月を費やしたことで知られています。 21年といってもこの交響曲にかかりっきりだったのではなく、その間にはピアノ協奏曲第1番やドイツレクイエム、ハイドンの主題による変奏曲、数多くの室内楽曲など重要な作品を発表しています。 曲の編成は弦5部、2管編成にコントラファゴット、金管楽器はトランペット2、ホルン4、トロンボーン3(第4楽章のみ)、ティンパニ。 ブラームス自身はあまり大きな編成で演奏されることを望んでおらず、カールスルーエの初演では49名のオーケストラで演奏されています。 (第1ヴァイオリン9人、第2ヴァイオリン9人、ヴィオラ4人、チェロ4人、 コントラバス4人) ヨアヒム指揮のイギリス初演では、編成は10型(弦=10−8−6−6−4 総勢51名)で演奏されました。 自筆譜は現在第2楽章から第4楽章までがニューヨークのピアーポント・モーガン図書館に保管されていますが、第1楽章は20世紀初頭から行方不明のようです。 この3つの楽章は現在無料楽譜サイトで簡単に見ることができます。 この自筆譜を見ると、比較的きれいで書き直しも少ないように思います。 今残る自筆譜は出版向けにブラームスが書き直したものかもしれません。 第2楽章の最後と第4楽章の最初に大きな変更があるのが見て取れます。 出版譜は1877年にジムロック社から出版され、契約額は15,000マルクの一括払い。 これはそのころジムロック社が払うことができる最高額で、ちなみにドイツレクイエムは1,782マルクでした。 ただ印税払いと異なり、いくら売れてもブラームスに報酬が入ることがなかったので、晩年になってブラームスは不満を漏らしています。 このジムロック版も無料楽譜サイトで見ることができます。 ここでアップされているのは、ブラームスと親しかった作曲家キルヒナー(1823〜1903)の遺品のようです。 ジムロック社の出版から50年経った1927年に、ブライトコップ社がハンス・ガル(1890〜1987)の校訂で出版。 ハンス・ガルも作曲家で、ブラームスの弟子で秘書だったオイゼビウス・マンディチェフスキ(1857〜1929)に学んでいます。 ブラームスの交響曲は、マーラーの「巨人」のように出版譜の違いによって楽器の使用個所や編成が変わることはありませんが、いくつか演奏を聴いてみると細部に多少の違いを見出すことができます。 それは出版譜の違い、あるいはオーケストラに伝承されたプレーヤーたちによる演奏上の改変(フィナーレ最後のティンパニなど)や、出版譜に書かれていない作曲者の指示、巨匠と呼ばれる指揮者たちによる解釈による改変など、いろいろと考えられます。 今回は自筆譜(第1楽章欠)、ジムロック版、ブライトコップ版、ヘンレ版の4つを参照できるので、これらの譜面を参考にしつつ聴いて行こうと思います。 (2015.07.18) |