今回は作曲と出版の経過です。 1855年 ハ短調の交響曲の構想をもつ2台のピアノ用のソナタからの交響曲作曲の試み. 1858年 ピアノ協奏曲第1番、管弦楽のためのセレナーデ第1番、第2番 1862年 クララ・シューマンに交響曲の第1楽章を送る。 クララの前で第1楽章ピアノ演奏した。この時現在の序奏はなかった。 1868年 クララの誕生日のために、ブラームスがスイスからのお祝いの手紙に添えてアルペンホルンの旋律を記す。 その旋律はその後、第4楽章に採り入れられた。 1870年 マックス・ブルッフが書簡の中でブラームスの交響曲について言及 1871年 ブラームス、ウィーンへ移住。 1873年 ハイドンの主題による変奏曲 作曲 1874年夏 第4楽章の作曲にとりかかる。 1874年秋 ブラームス、出版者のジムロックへ「交響曲は心配するな」と伝える。 1876年 7月 バルト海リューゲン島で第4楽章完成 1876年 9月 全曲完成。 自筆譜の最終ページには「1876年9月リヒテンタールにて」の記述有り 1876年10月、 ヴァイオリニスト、ヨアヒムと出版者ジムロックへの手紙で同年11月4日の初演を約束 10月10日 クララ・シューマンの前で全曲をピアノ演奏 1876年 11月4日 全曲初演 デッソフ指揮カールスルーエ宮廷管弦楽団 編成は49人だった。 (弦=9−9−4−4−4) 11月7日 マンハイムでブラームスが指揮 この時の演奏時間は 第1楽章14分、第2楽章(初稿)9分、 第3楽章4分、第4楽章16分 11月15日 ミュンヘン ブラームスの指揮 12月17日 ウィーン ブラームスの指揮 使用クラリネットを第2楽章以外A管からB管に変更 1877年 1月18日 ライプツィヒ 1月23日 ブレスラウ 3月 7日 ケンブリッジ (イギリス初演) ヨアヒム指揮ケンブリッジ大学音楽協会 (弦=10−8−6−6−4) 第2楽章一部改訂 旧版は現行よりも5小節多くオーケストレーションも異なる。 3月31日 ロンドン ヨアヒム指揮 4月16日 ロンドン ヨアヒム指揮 5月31日 第1,3,4楽章をジムロック社へ渡す。 第2楽章改訂、ロンド形式から3部形式へ、繰り返しが減り内容が多彩となった。 6月 南オーストリアの保養地ベルチャッハで過ごす(6月9日から9月上旬) 交響曲第2番の作曲に着手 交響曲第1番ピアノ連弾版完成 10月 交響曲第2番 完成 11月 交響曲第1番 ジムロック社から出版 契約額は15,000マルク (ジムロック社が払うことができる最高額、 ちなみにドイツレクイエムは1,782マルク) 12月30日 交響曲第2番、ウィーンで初演 ハンス・リヒター指揮ウィーンフィル 1878年 1月18日 ブラームス、故郷ハンブルクで指揮 ハンブルクフィルハーモニー協会 (ゲストコンサートマスターはヨアヒム) 1883年 交響曲第3番 作曲、初演 1885年 交響曲第4番 作曲、初演 1897年 ブラームス 死去 1923年 初録音 オスカー・フリート指揮ベルリン国立歌劇場管 1927年 Breitkopf & Haertel社から出版Hans Gal校訂 (ジムロック社出版後50年経過) 1996年 Robert Pascall校訂による原典版ヘンレ社から刊行 第2楽章の初演版の部分的な復元譜を付録として収録。 (2015.07.28) |