録音史
今回は録音史。

1960年までの主な商業用録音をまとめました。
なおライヴ録音は除いてあります。

・1923年      フリート&ベルリン国立歌劇場管
・1923-24年   ワインガルトナー&ロイヤルフィル
・1925-27年   ストコフスキー&フィラデルフィア管
・1928年1月    アーベントロート&ロンドン響
・1928年      クレンペラー&ベルリン国立歌劇場管
・1928年      ワインガルトナー&ロイヤルフィル

ブラームスから自作の演奏を高く評価されたワインガルトナーには交響曲全4曲の録音があり、第1番は3種の録音があります。

なおこのロイヤルフィルは1918年に設立された団体で、ビーチャムが創設した現在の団体とは別のオーケストラです。

1931年に解散しロンドンフィルの母体となりました。

・1930年  メンゲルベルク&コンセルトヘボウ管  第三楽章のみ
・1936年  ストコフスキー&フィラデルフィア管
・1937年  ワルター&ウィーンフィル
・1938年  ヨッフム&ベルリンフィル
・1939年  ワインガルトナー&ロンドン響 
・1941年  ストコフスキー&全米青少年響
・1941年  トスカニーニ&NBC響

ストコフスキーとワインガルトナーは再録音。その後全集録音まで発展します。

メンゲルベルクの第1番のスタジオ録音は第3楽章のみ。
ライヴでは2種の全曲録音があります。

・1941年  アーベントロート&ベルリンフィル

ブラームスの解釈家として一家言を名した指揮者フリッツ・シュタインバッハの流れを汲むアーベントロートの2回目の録音。

・1943年  カラヤン&コンセルトヘボウ管

ブラームスの交響曲第1番のスタジオ録音を6種類残したカラヤンの初録音は、ドイツグラモフォンへのコンセルトヘボウ管との演奏です。

コンセルトヘボウ管とは同年9月に「ドンファン」「魔弾の射手」序曲、序曲「レオノーレ第3番」、「7つのヴェールの踊り」の録音を残していますが、以後カラヤンがコンサートを含めコンセルトヘボウ管を振った記録はありません。

1943年のカラヤンは、ベルリン国立歌劇場管の数回とコンセルトヘボウ管のコンサートを1回(コンセルトヘボウ管とのコンサートはなかったという説も有り)振っているだけで仕事を干されていた時代です。
このコンセルトヘボウ管との一連の録音がいかなる理由で実現したのかわかりません。

かなり以前に、カラヤンを題材としたドキュメンタリー番組中の小沢征爾との会話の場面で、メンゲルベルクの練習は非常にすばらしかったとカラヤンが発言をしていたのを見たことがあります。(なぜかその部分のみ字幕スーパーに出ませんでした。)
メンゲルベルクは1940年代にコンセルトヘボウ管の首席指揮者だった人です。
メンゲルベルクとカラヤンはなんらかの関係があったのでしょうか?

・1944年  ベーム&ウィーンフィル
・1945年  ロジンスキー&ニューヨークフィル
・1945年  ストコフスキー&ハリウッドボウル管
・1946年  ラインスドルフ&フィラデルフィア管
・1947年  フルトヴェングラー&ウィーンフィル
・1949年  ムラヴィンスキー&レニングラードフィル

ラインスドルフはNMLにアップされている録音ですが、1946年、1950年の二つの録音データが併記されています。
フィラデルフィア管は1950年にオーマンディとの録音があり、データ上多少疑問の残る演奏です。

なお1941年から1944年の間、アメリカではアメリカ音楽家協会がストライキに突入したため、ビクターとコロンビアの大手レコード会社では商業録音が一切行われませんでした。

ストコフスキーはこの時点で実に4回目の録音。

・1950年  オーマンディ&フィラデルフィア管
・1951年  カラヤン&フィルハーモニア管


カラヤンはEMIへの録音。
50年代のEMIはフィルハーモニア管とのブラームス交響曲録音を、カラヤンとイタリアの俊英カンテルリという将来を嘱望された二人の指揮者を起用してブラームスの交響曲録音を開始しました。

カラヤンは第1番、第2番,第4番まで、カンテルリは第1番と第3番の録音を残しましたが1956年にカンテルリは飛行機事故で36才の若さで逝ってしまいます。

ちょっと横道に逸れますが、以下はEMIとフィルハーモニア管との1950年代のブラームスの交響曲録音です。

・1951年  カラヤン(第1番)
・1952年トスカニーニがフィルハーモニア管に客演してブラームスの交響曲全曲を演奏。

EMIのプロデユーサー、ワルター・レッゲがライヴ録音(トスカニーニはビクター専属だったために発売できず、正規発売は2000年)

・1953年  カンテルリ(第1番)
・1955年  カラヤン(第2番 第4番 実験的なステレオ録音有り)
・1956年  カンテルリ(第3番 ステレオ録音)
        クレンペラー(第1番 第2番 第4番 ステレオ録音)
・1957年   クレンペラー (第3番 第1番の一部)

結局カラヤンの第3番はEMIでは録音されず、レーベルとオケを変えてウィーンフィルとのDECCAへの1960年録音となりました。
1959年には第1番も録音(3度目)。

・1951年  トスカニーニ&NBC響
・1951年  カイルベルト&ベルリンフィル
・1951年  ベイヌム&コンセルトヘボウ管

トスカニーニはその後全集まで発展。ベイヌムはステレオの再録音があります。

カイルベルトはオケ混在の同一レーベル全集録音に発展。
(第1, 2番はベルリンフィル、第3番はバンベルク響、第4番はハンブルク国立フィル 第1番以外はステレオ録音)

・1952年  クーベリック&シカゴ響
・1953年  シェルヘン&ウィーン国立歌劇場管
・1953年  カンテルリ&フィルハーモニア管
・1953年  ワルター&ニューヨークフィル
・1954年  ヨッフム&ベルリンフィル
・1954年  ボールト&フィルハーモニックプロムナード管

ワルターとヨッフム、ボールトは交響曲全集に発展。ヨッフムはベルリンフィルと2度目の録音
(3人ともステレオで全集再録音有り)

・1956年4月 スタインバーグ&ピッツバーグ響
・1956年10月  クリップス&ウィーンフィル
・1956年11月  ミュンシュ&ボストン響
・1956年12月  マルケヴィッチ&シンフォニー・オブ・ジ・エアー
・1957年  クレンペラー&フィルハーモニア管(前年から録音開始)
・1957年  セル&クリーヴランド管
・1957年  クーベリック&ウィーンフィル

スタインバーグの1956年録音は米capitolへの録音、その後60年代に米Comanndへ全4曲のステレオ録音を残しています。


クリップスとミュンシュはステレオ録音。マルケヴィッチはモノラルです。
セルとクーベリック、クレンペラーもステレオの全集録音

・1958年  ホーレンシュタイン&南西ドイツ響
・1958年  ベイヌム&コンセルトヘボウ管
・1959年  オーマンディ&フィラデルフィア管
・1959年  カラヤン&ウィーンフィル
・1959年  ベーム&ベルリンフィル
・1959年  ケンペ&ベルリンフィル
・1959年  ドラティ&ロンドン響

オーマンディは2度目の録音、その後全集へ発展しています。
3度目のステレオ再録音もあります。

ケンペとベイヌムはモノラルステレオ混在の全集録音。
ドラティはオケ混在の同一レーベル全集録音(第2番のみミネアポリス響)

その他手持ち音源で50年代から60年代前半までの録音と思われるもの。

・ガラグリー&ベルリン放送響     (モノラル)
・スワロフスキー&南西ドイツフィル  (ステレオ)
・ルードウィッヒ&ハンブルク国立フィル(ステレオ)



(2015.08.09)