手持ちのスコアは、音楽之友社(1959年初版)、ドーヴァー(=ブライトコップ版)、ヘンレ版、古いオイレンブルク版です。 無料楽譜サイトでは自筆譜とジムロック版も見ることができます。 それぞれに出版社の個性のようなものがあって微妙に異なる個所があり、見ていていくつか面白いことに気がつきました。 マーラーの「巨人」のように、聴いただけで違いが顕著にわかるような差はありませんが、中には解釈に微妙な影響を及ぼすような違いもあります。 顕著な部分としては、第4楽章冒頭アダージョ部分の12小節めと20小節め。 第4楽章はAdagioで開始し、しばらくすると弦楽器のピチカートのstring poco a poco (少しずつ しだいに速めて)となります。 その後の速度記号が出版社によって異なっていました。 12小節めと20小節めではジムロックとヘンレがin tempo 、ブライトコップは a tempo となっています。 なお自筆譜は明らかにin tempoです。 さらに面白いことにオイレンブルク、そして音友と全音の国内大手2社が、12小節めは in tempoにもかかわらず、20小節めではa tempoとなっていました。 以下にまとめておきます。 第四楽章 12小節め 20小節め ・自筆譜 in tempo in tempo ・ジムロック(1877年) in tempo in tempo ・ブライトコップ (1927年) a tempo a tempo ・オイレンブルク(No.425) in tempo a tempo ・音楽之友社(1957年初版) in tempo a tempo ・全音 in tempo a tempo ・ヘンレ in tempo in tempo ここにきて今まで何気なく使っていたin tempoという速度記号の意味が、私には解らなくなってきました。 ちょっと理屈っぽくなりますが。 音楽辞典の類にはin tempoとは、速さを保って、あるいは一定の速度でといった意味が書いてあります。 一方のa tempoは元の速さでと書いてあります。 このアダージョの10小節以降、string poco a poco で速くなったテンポを、12小節目がブライトコップに書かれているa tempoであるならば、ここで冒頭の速さのAdagioに戻すという限定的な意味になります。 実際往年の巨匠の演奏をはじめ、慣れ親しんだ多くの録音(ブライトコップ版使用?)はそのように演奏しています。 ところがブラームスが書いたのはin tempo。 NHK交響楽団第1コンサートマスターの篠崎史紀氏のエッセイ集「ルフトパウゼ」にはインテンポについて興味深いことが書かれています。 ↓ http://www.sarasate.net/book/maro.html ここで篠崎氏は「音楽的インテンポとは、計算された物理的な一定テンポではなく、もっと感覚的なもの、自然に安定していると感じるテンポ」と書かれています。 ・「ブラームスはテンポ、リズム、フレージングが柔軟なことを好み、自分もそのように演奏をした。」というボストン交響楽団初代指揮者ジョージ・ヘンシェルや、 「ブラームスは自分の書いた曲にメトロノーム指示を残しておらず、一つの曲がいつも同じテンポで演奏されることを嫌っていた。」というブラームスの同時代に生きた人たちの証言も残っています。 この部分でブラームスが意図したin tempoとは、物理的に正確な速さというのではなく、音楽的に自然なテンポでということだと思います。 すなわちブラームスが string poco a poco で速めた後にin tempoとしたのは、演奏者が感じる音楽的に自然なテンポで演奏しなさい、と演奏者の感覚に委ねたのであり、結果として同じようになったとしても、冒頭のAdagioのテンポに戻れという意味とは心理的に異なってくるのではないかと思います。 一方、オイレンブルクと音楽之友社と全音では12小節めをin tempoとしながら、なぜか20小節めはa tempoとなっています。 これでは20小節のa tempoは12小節めのin tempoに戻るのか、それとも冒頭のAdagioに戻るのか迷うところです。 以下整理すると 12小節 in tempo 20小節 in tempoの場合(自筆譜、ジムロック版、ヘンレ版) ・・・20小節め以降も音楽的に自然なテンポ(12小節のテンポと同じテンポとは限らない) 12小節 a tempo 20小節 a tempoの場合 (ブライトコップ版) ・・・・12小節めと20小節め以降は冒頭 Adagioのテンポ 12小節 in tempo 20小節 a tempoの場合 (オイレンブルク版、音楽之友社、全音) ・・・・12小節めは音楽的に自然なテンポ、20小節め以降は12小節目と同じテンポ、あるいは冒頭のAdagioのテンポ。 現実に多くの演奏を聴く限りでは、インテンポだろうとアテンポだろうと結果はあまり変わっていないようにも聞こえますが・・・・・ 聴き比べではこの部分も意識して聴いていこうと思います。 他に、ブライトコップとオイレンブルクでは、クレシェンド、デクレシェンドの始まりと終わりの位置が異なる部分がいくつかあり、ブライトコップがmfでオイレンブルクがsfになっていたりと、どちらかの単純なミスのような部分もありました。 古いオイレンブルク版は、他にもpやlegatoが落ちていたりと不正確な部分が多いようです。 また、ジムロック版で落ちていた個所が、ブライトコップ版で修正されている場合もありました。 ネットで見ることができるジムロック版には、所有者キルヒナー(ブラームスの弟子で指揮者でもあった)の演奏上の注意点や解釈、修正などが色鉛筆で書き込まれています。 その修正のアイディアのいくつかは、その後のブライトコップ版が採用している部分もあります。 このキルヒナーの書き込みは、20世紀初頭の一般的な解釈を反映しているものかもしれません。 いささか乱暴な結論付けですが、ブライトコップ版はジムロック版の出版後50年を経て、演奏現場での声をある程度反映させた実用版なのかもしれません。 以上重箱の隅を突くようなことを書いてきました。 *入手できたポケットスコアを見ての判断です。パート譜までは確認できていません。 (2015.10.04) |