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これからは原曲ピアノ版の演奏比較です。まず今回は「原典版」以外の演奏を紹介します。 演奏比較を始めるにあたって、まず手持ちのピアノ演奏から原典版とコルサコフ版を区別する ことから始めました。 多くのCD、LPのジャケットには、ホロヴィッツ編曲のホロヴィッツ版、自筆譜を参照した小川典子の演奏などの特別な場合を除いては、使用楽譜のコメントはありません。 したがって原典版とリムスキー=コルサコフ版の二つの版で最も違いが顕著な「ヴィドロ」の冒頭と、「サムエルゴールデンベルクとシュミイレ」の終結部を聴き、どちらの楽譜を 参照しているかを判断しました 比較を試みたのは次の録音です。 ・ ホロヴィッツ (1951年ライヴ) ;ホロヴィッツ版 ・ マリーニン (1950年代のスタジオ録音) ;原典版 ・ カペル (1953年ライヴ) ;原典版 ・ リヒテル (1956年プラハのライヴ) ;原典版 ・ リヒテル (1958年ソフィアでのライヴ) ;原典版 ・ リヒテル (1958年スタジオ録音) ;原典版 ・ ペルティシュ (1960年代スタジオ録音) ;コルサコフ版 ・ ワイルド (1960年代スタジオ録音) ;コルサコフ版に加筆 ・ フィルクシュニー(1959年代スタジオ録音) :原典版 ・ ベロフ(1973年スタジオ録音) ;コルサコフ版 ・ アシュケナージ(1982年東京でのライヴ) :原典版 ・ ブレンデル(1985年ライヴ) :原典版 ・ マガロフ(1991年ライヴ) :原典版 ・ ウゴルフスキ(1995年ライヴ) :原典版 ・ セヴィドフ(1996年スタジオ録音) :原典版 ・ 小川典子(1997年スタジオ録音) :自筆譜からの演奏 原典版出版が1931年、これ以前の録音があれば必然的にコルサコフ版であるはず、 私の調べた限りでは1940年代に録音されたモイセヴィッチ、ホロヴィッツのスタジオ録音が最も古い部類で、1930年以前の録音はありませんでした。したがって大部分の録音は原典版を使用していると予想していました。 ところが実際は、「ヴィドロ」をppで始めている録音は意外と多く、ホロヴィッツ、ワイルド、ペルティシュ、ベロフなどで、中でもアール・ワイルドの演奏は「サムエル・ゴールデンベルクとシュミイレ」の終結部もドレドシと弾いていました。 <アール・ワイルドとホロヴィッツ(1951年ライヴ)> 結局二ヶ所ともコルサコフ版のとおり弾いている演奏はアメリカのピアニスト、 アール・ワイルドのみでした。 しかしワイルド盤には、譜面にない多くの音を加え、5番目のプロムナードやリピートの多くをカットしたりといった具合で、独自の加筆が多くあります。したがってこの演奏は、コルサコフ版というよりもラヴェルのオケ編曲を参考にした独自の編曲と言った方が正確だと思います。これはCDにホロヴィッツ版と標記のあるホロヴィッツも同様です。 ワイルドの演奏は、テンポの動きの大きいアクの強い演奏で、アルペジョで始める「キエフの大門」など、聴いていてかなり抵抗を感じさせる部分もありますが、技巧が確かなので華やかな「リモージュ」などなかなか楽しめました。ロマンティックで幻想的な「古城」の歌わせかたも雰囲気たっぷりで、これは個性的で優れた演奏だと思います。 ホロヴィッツには1947年のスタジオ録音と1951年のライヴ録音があります。 これはワイルド以上に手を加えラヴェルの編曲をそのままピアノにアレンジした、ホロヴィッツのヴィルトオーゾぶりを遺憾なく発揮させる編曲で、演奏も凄味さえ感じさせる名演でした。5番目のプロムナードはカットしていました。 <ベロフとペルティシュ> フランスのミッシェル・ベロフは「サムエルゴールデンベルクとシュミイレ」の終結部はドレシシであるものの、強弱とクレシェンドは限りなくリムスキー=コルサコフ版に近い演奏です。特に「カタコンベ」に顕著でした。演奏は端正で各曲のまとまりも良く、絶妙のペダリングで色彩感覚溢れる秀逸な名演。ベロフには、ムソルグスキー13歳の作品「旗手のポルカ」やリヤプノフら他作曲家のピアノ編曲版を含む、ムソルグスキーの作品の優れた録音を数多く残しています。 ハンガリーのピアニスト、ペーター・ペルティシユもコルサコフ版に近い演奏ですが、 ワイルドと同じく5番目のプロムナードをカットしていました。これもラヴェルの影響でしょうか。強弱の変化は原典版に近い演奏、技術がしっかりしているので、演奏もベロフとさほど遜色ない優れた出来です。廉価盤国内LPの無名ピアニストですが、これは拾い物の1枚でした。
(2002.01.16)
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